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採用ミス発言が炎上?新人を泣かすほど厳しすぎる新入社員研修の限度
4月になると、駅や街中で新入社員らしき姿を見かける機会が増えます。まだスーツが少し硬く見えたり、どこか緊張感が漂っていたり。不思議と「新入社員だな」とわかってしまう季節です。
そんな新入社員シーズンに「採用ミス」発言が炎上しました。外部研修会社の社長が新入社員に対して「皆さんの会社は採用ミス」と言い放ったというニュースです。
「採用ミス」発言は本当に正論だったのでしょうか。それとも、時代遅れの新人研修が炎上しただけなのでしょうか。
厳しすぎる新入社員研修は本当に必要なのか。ブラック企業と批判される研修との違いはどこにあるのか。今回は、採用視点からこの問題を考えてみたいと思います。
採用ミス発言が示した新入社員研修の問題
TBSの情報番組でも取り上げられ、厳しすぎる新入社員研修の是非が議論になりました。
2016年4月5日に放送されていた、TBSの情報番組『あさチャン!』で紹介された、新人研修を担当する外注企業、株式会社心の足立裕志社長の発言に話題が集まっているようですね。
引用:採用ミス発言!株式会社心と足立裕志社長の経歴とは?
営業会社や接客業では、今でも厳しい新人研修を実施する企業は少なくありません。多くの場合、自社ではなく外部の研修会社に委託します。
今回の件も、外部研修中に新入社員が自社社長の名前を答えられなかったことをきっかけに「採用ミス」と発言したことが発端だったようです。
私は厳しい新入社員研修そのものを否定するつもりはありません。学生気分が抜けきらない新人に社会のマナーや責任を教えることは、企業側の立場として理解できます。
実際、自分の入社先の社長の名前を知らないというのは、少し意識が甘いとも感じました。しかし、問題は「厳しさ」の方向性です。度が過ぎた研修は、企業ブランドや採用力にとって逆効果になる可能性があります。
厳しさは必要だが、方向性を間違えると逆効果
たとえば、新卒研修の一環として行われる名刺獲得キャンペーン。法人向けの飛び込み営業であれば営業訓練の一環と理解できなくもありません。しかし、道行く人に無差別に声をかけて名刺を集める手法は、本当に教育として適切なのでしょうか。
私自身、東京駅(丸の内)周辺で突然声をかけられた経験があります。同じ営業の立場として、協力できるときは応じてきましたが、立場を変えて考えてみると、相手の時間や事情を無視した行為にも映ります。
受け手によっては不快感を抱く可能性もあり、結果として「新人研修が厳しい会社」という印象よりも「配慮に欠ける企業」というイメージが残ってしまうかもしれません。
新入社員の成長を目的としたはずの研修が、知らず知らずのうちに企業ブランドや採用イメージを損なうリスクをはらんでいる点は、改めて考える必要があるのではないでしょうか。
こうした行為は「新人研修だから仕方ない」で済まされる時代ではありません。インターネットが普及した現在では「ブラック企業の研修」「ヤバい会社」として拡散されるリスクもあります。採用広報に何百万円かけても、たった一度の不適切な研修で企業イメージは損なわれます。
ブラック企業と呼ばれる研修の共通点
問題なのは「厳しさ」そのものではありません。問題になるのは、その厳しさが人格否定やパワハラに変質した瞬間です。
「お前がいると迷惑だ」「明日から来なくていい」といった発言は、指導ではなく明確なハラスメントです。仕事の基準を厳しく求めることと、その人の人格を否定することはまったく別の話です。
新人研修の名のもとに精神的に追い込み、泣かせること自体が目的になっているケースもあります。しかしそれは教育ではありません。恐怖によって従わせる「支配型マネジメント」にすぎません。
こうした研修スタイルがSNSで拡散されれば「ブラック企業の研修」「パワハラ新入社員研修」といったキーワードで語られ、企業ブランドは一瞬で毀損します。採用広報にどれだけ投資していても、研修の在り方ひとつで採用力は大きく低下します。
企業が本当に育てるべきなのは、恐怖で従う社員ではなく、自ら考え、行動し、責任を持てる人材です。新入社員研修の目的は、忠誠心を試すことでも、服従を教え込むことでもありません。社会人としての基礎を築き、主体性を引き出すことにあるはずです。
まとめ
厳しい新人研修がすべて悪いわけではありません。しかし、人権を無視する指導が正当化されることはありません。SNS時代においては、わずかな判断ミスがブラック企業として拡散され、企業ブランドや採用力に直結します。
新入社員研修は、企業の価値観をもっとも象徴する場面です。恐怖で従わせるのか、自律的に育てるのか。その違いは、数年後の組織文化に表れます。
今の時代に通用する新人研修とは何か。厳しさとハラスメントの境界線を、企業は真剣に考える必要があります。採用難の時代だからこそ、教育のあり方はコストではなく投資として見直すべきではないでしょうか。

